2015年6月29日月曜日

BABYMETAL のアルバムのレビュー

GHOST CULTというサイトで、BABYMETALのアルバムについてレビューされていたので、これを訳してみました。

BABYMETAL




展望と第2のチャンスが状況を一変させることがある。
BABYMETAL(ソニーミュージック)が2014年に初めて世界へ紹介された時、"真のメタル戦士"という言葉を使いたがる一部は、皮肉無しに、涙にくれる嵐のような混乱と責任追及の中で爆発し、このバンドとファンの人達を、近来におけるヘヴィメタルの強迫観念の最もヒステリックな表現による裏切りとして避難した。
ネットの癇癪さえすぐに沈静化したが、しかしながら、1年の間隔と、ケリーキングやジェフウォーカーというメタル界の有名どころ達の声援により、ヒステリックな叫びは落ち着き、そのような論争を無視し、改めて音楽を見直せるようになった。

どちらが幸運だったのか、BABYMETALの音楽がファンタスティックなものであることが明らかになった。

これはずうずうしいほどのポップアルバムで、メタルの多様なサブジャンルの要素を使いまわして独自のサウンドを作り出している。それは、トゥ・メガ・セリオン(ノイズ)のようなサウンドではない。そんなことを期待するのも馬鹿げているし、"メタルじゃない"などと議論することも同じように馬鹿なことだ。しかしながら、そこには、堅実な核となるものがあり、入手可能で、洗練され、ラジオでかかりやすく、それでいて、"本物のメタル"が曲全体を通して貫かれている。
大きく、旋律が心地よく、繰り返されるとてもヘヴィなリフが、メロディックデスメタルや、ヨーロッパのバワーメタル、スラッシュのよりキャッチーな面といったものに、これらのジャンルを熟知したミュージシャンたちの自信によって取り込まれ、3人の10代の女の子達による唸り声と叫びの歌声が効果的に相互作用している。

あらゆる融合と同様、ポップメタルは、両方が等しく理解された時にうまく機能する。そして、BABYMETALの偉業は、メタル側のリフやブレークダウンと、ポップソングに関する申し分のない手法とを結婚させてしまったことだ。陽気でもったいぶったイントロの後、曲は無慈悲な効率性の歩調に変わる。息もつけないようなコーラスと厚かましいキーチェンジを軸に構成されているが、これらは彼らの系譜であるJポップから取り入れられたものだ。
彼らはまた、メタルや西洋のポップがあまりにもあっさりと忘れてしまった、"楽しさ"の性質を一杯に充している。レゲエの要素、ヒップホップ、ダンスミュージック(全てはJポップのフィルターにより変換されている) から、これらがしばしば持つ、気取った"滑稽さ"が削がれ、もう楽しむしかないのである。

時間と距離をおいてBABYMETALを振り返ってみると、そこに向けられたほとんどの批判は完全に不適切なものだ。批評家は、バンドが本質的に商業生産されたものであるということを重く扱った。しかし、それは真実ではあるものの、バンドと彼らの音楽は、プロのエイジェンシーの下で作成され、このほとんど完璧な音楽のコレクションは、彼らがやっていることをクリアにライブでも再現できる卓越したミュージシャン達によって演奏され、なぜそれが、バスタブシッターのギグで舞台裏を見なかったような酷いものだと思われたのか思い出すのも困難になる。

同様に無意味で、より悪意のあるのが、"ペドメタル"だという非難だったが、不快なネット界隈では未だにやりあっている。女性の表現で常に格闘してきたようなジャンルで、BABYMETALについて、音楽に関係なく最も良いことは、女の子たちを完全に性的に扱っていないことであり、無垢な喜びを明らかに役割として与えていることである。もしあなたが、若い日本の女の子の存在からどうしても性的なことを考えるなら、もちろん、それは自由だ。でも、何故そう考えるのか真面目に自分自身に問うてみたらいい。

BABYMETALは、全ての誇張と論争はさておき、見事なポップメタルのアルバムだ。これは全ての -"真のメタル"を共有する性質の- 人向けのものではない。しかし、完璧にやろうと始めたことを成し遂げており、メタルの語彙に、何か本当に価値あるものを加えている。

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